CASE FILE 004

帝銀事件

The Teigin Incident

毒薬、占領期、死刑判決、そして消えない冤罪の問い。1948年1月26日、東京・椎名町の銀行支店で起きた大量毒殺・強盗事件を、確認された事実、報道、争点、未解明部分に分けて読み直す。

発生:1948年1月26日 場所:東京都豊島区・椎名町 分類:大量毒殺・強盗 / 司法史 状態:有罪確定後も疑問が残る事件

このページの約束

帝銀事件は、単なる未解決事件ではない。戦後日本の混乱、毒物犯罪、捜査、裁判、死刑、再審、そして「正義は何をもって確定するのか」という問いを含む事件である。

SHIMBUN.co.jpは、本件を「犯人当て」として扱わない。平沢貞通を一方的に有罪とも無罪とも断定しない。ここで行うのは、事実、判決、報道、疑問、未解明部分を分けて配置する作業である。

This case is not just about poison. It is about evidence, confession, wartime knowledge, postwar justice, and the limits of certainty.

CONFIRMED1948年1月26日、帝国銀行椎名町支店で、多数の行員・関係者が毒物を飲まされ、12人が死亡した。
CONFIRMED平沢貞通は逮捕され、裁判で有罪となり、死刑判決が確定した。
DISPUTED平沢が真犯人だったのか、自白や証拠の評価は妥当だったのかについて、長く疑問が示されてきた。
UNKNOWN毒物の性質、入手経路、犯人の技能、戦時研究との関係など、今も論争的な論点が残る。
帝銀事件の銀行支店を表現したアーカイブ画像
帝国銀行椎名町支店。事件は、閉店間際の銀行という、秩序と信用の空間で起きた。

事件の輪郭

1948年1月26日、東京・椎名町の帝国銀行椎名町支店に、厚生省の防疫関係者を名乗る男が現れた。男は、近隣で赤痢が発生したという趣旨の説明をし、予防薬のように見せかけた液体を行員らに飲ませたとされる。

その後、多数が倒れ、12人が死亡した。現金も奪われた。事件は、戦後日本の犯罪史に残る大量毒殺・強盗事件となった。

奪われたのは、金だけではなかった。銀行という信用、捜査への信頼、そして裁判による確定への信頼も、事件の中で揺らいだ。
帝銀事件の毒物と欺きの構図を表現する証拠画像
毒と欺き。帝銀事件では、暴力ではなく「公的な権威への信頼」が犯行の入口になった。

なぜCase 004なのか

Case 001の三億円事件は「完全犯罪」の神話、Case 002のグリコ・森永事件は「劇場型犯罪」、Case 003の世田谷一家殺害事件は「現代の物証型未解決事件」だった。帝銀事件は、それらとは異なる。これは、犯罪そのものと同じくらい、司法の記録が問われる事件である。

平沢貞通は死刑判決を受けたが、一貫して無実を主張した。死刑は執行されず、平沢は1987年に獄中で死亡した。以後も、再審、毒物、旧陸軍の特殊研究、捜査の方向転換などをめぐる議論が続いている。

この事件の四つの軸

1毒物による大量殺人・強盗
2偽の公衆衛生権威を使った欺き
3平沢貞通の有罪判決と死刑確定
4再審と冤罪の問い

帝銀事件の現場地図
現場地図。椎名町、豊島区、1948年の東京。戦後都市の混乱と日常が重なる場所で事件は起きた。

タイムライン

帝銀事件は、一日の犯行だけで終わらない。捜査、逮捕、裁判、死刑確定、再審請求、そして現在まで続く疑問が、事件の時間軸を作っている。

1948/1/26
銀行支店に男が来店
厚生省関係者を名乗り、防疫・予防薬の説明を行ったとされる。
同日夕方
毒物の投与
行員らが薬のように見せかけられた液体を飲み、次々に倒れる。
直後
現金が奪われる
多数が倒れた後、現金が持ち去られる。
1948年
平沢貞通の逮捕
画家の平沢貞通が容疑者として逮捕される。
裁判
有罪・死刑判決
平沢は有罪となり、死刑が確定する。
1987年
獄中死
平沢は死刑執行されないまま、獄中で死亡した。
現在
問いは残る
事件、捜査、裁判、毒物をめぐる疑問は、今も司法史の中で議論されている。
帝銀事件のタイムライン画像
タイムライン。犯行は一日、問いは数十年。帝銀事件は、事件記録であると同時に司法記録でもある。

報道と記憶

帝銀事件は、戦後の新聞、ラジオ、裁判報道、再審運動、映画、書籍、研究の中で語り継がれてきた。報道は事件を記録したが、同時に、平沢をどう見るか、警察発表をどう扱うか、自白をどう評価するかという世論も作った。

この事件を扱ううえで重要なのは、報道されたことと証明されたことを混同しないことである。事件の記憶は、単に古い犯罪の記憶ではなく、戦後司法への問いとして残っている。

帝銀事件の報道と記憶を表現するメディアウォール
報道と記憶。帝銀事件は、犯罪史だけでなく、メディアと裁判の記憶にも刻まれている。

出典メモ

本ページは、公開資料、報道、研究機関の展示・講演資料で確認できる範囲をもとに構成する。断定できない論点は「DISPUTED」または「UNKNOWN」として扱う。

  • 帝銀事件に関する公開資料・研究資料
  • 明治大学平和教育登戸研究所資料館による帝銀事件関連講演・展示資料
  • 事件当時とその後の報道、裁判・再審に関する報道
  • 平沢貞通の有罪判決、死刑確定、獄中死に関する公開記録
犯人探しではなく、司法史の再読。